高田焼
[多治見市図書館郷土資料室所蔵]
[多治見市図書館郷土資料室所蔵]

高田焼は400年。
高田焼は美濃焼のひとつですが高田焼きと呼ばれ、高田町、小名田町を中心に焼かれています。
高田焼の歴史は、元和2年(1616年)加藤与左衛門景直によって窯を築かれたのがはじまりです。
古窯から天目茶碗や徳利、茶壷などが出土しています。

四百年の歴史を重ねながらも、常に新たな美を求め続ける高田焼は、
今もなお多くの人々を魅了しています。

高田焼の歴史年表

嘉禎元1235高田神社の梵天に「嘉禎元」とある
文永31266小名田小滝九号から「文永三年」と刻まれた蓋が出土
正安21300東栄町白山神社、修復の棟札に「正安二年」とある
正和21313夢想国師・佛徳禅師、長瀬山に永保寺を開く
永徳31383永保寺寺領目録に「於奈田村」の記載あり
寛正21461永保寺領目録に「高田郷内田地 四町四段半山野等」「於奈田村内田地町段井山野等」の記載あり
天正元1573「元祖由緒記」に加藤五郎右衛門景豊(与左衛門景久)が大平でを開くとある
天正21574加藤市左衛門景光、長より朱印状を賜わる(加景重との説もあり)
慶長181613加藤伊右衛門景門、大平から小名田に移り窯を開く(元和の頃とも伝える)
元和21616加藤与左衛門景直(景一・景吉)、大平から移住し高田で窯を開く「土岐可児境由緒記」
正保元1644加藤与左衛門景直没する
万治元1658高田・欠築郷、江戸幕府の直轄領となる
延宝21674虎渓山徳林院過去帳に、景門延宝二年八月没、戒名月窓涼心居士とある
天和21682欠築村・小名田村、山論始まる(嘉永二年まで続く)
宝暦51755東家「庶事覚帳」に、東弥右衛門が「かまさや」「もろ」を建て、翌年に「かま」を築いたことが記される
寛政121800徳利製造年間6万俵と取り決められる
寛政121800「親荷物」制度が決められる
享和21802尾張藩蔵元制度が創設され、徳利売り捌きについて初めて文書にあらわれる
文政51808市之倉郷・下石村・笠原村・高田郷より新製窯取りたてを願い出る
文政71824西浦園治、徳利の仲買いを始める
嘉永51851「窯株改め」に、高田郷に磁器窯を示す「新窯」が見られる
慶応41868高田・欠築郷、笠松県に属する
明治21869高田・欠築郷は岩村藩に、小名田村は笠松県に組み入れられる
明治初明治初年~20年頃、小名田の徳利生産一時停止する
明治51872窯株制度・蔵元制度が廃止される
明治321899高田地区製陶業者 26名で陶磁器同業組合を結成し、販売価格の協定等を行う
明治331900中央線名古屋・多治見間が開通する
[多治見市図書館郷土資料室所蔵] [多治見市図書館郷土資料室所蔵]
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明治351902高田中央陶器会社を設立し、製造と販売を兼ねて営業する
大正71918組合員 50名が出資し、白粉山より高田8丁目までトロッコ軌道を敷設。
陶土の共同採掘、搬出を開始する
大正121923関東大震災、直後に高田徳利の需要がピークになる
大正151926土岐津陶磁器工業組合に合併し、同組合高田支所となる
昭和71932「高田焼製品改良研究会」を発足し、高田徳利に替わる製品研究が行われる
昭和91934多治見町(高田)と豊岡町(小名田)が合併し、多治見町になる
昭和151940多治見市制が施行される
昭和161941高田金蔵平に耐火煉瓦共同工場を建設し、耐火物を生産。
金属の代用品生産が、高田で本格化する
昭和171942土岐津陶磁器工業組合を脱退し、小名田の製陶業者も含め高田陶磁器工業組合を設立。
企業整備令にもとづき30企業を5ブロックに企業整備を実施する
昭和221947商工協同組合法の制定により、法にもとづく高田陶磁器工業協同組合を設立し、5月1日に登記を行う。組合員50名
昭和241949高田区・小名田区で陶祖を加藤与左衛門景直とする
昭和251950中小企業等協同組合法により、共同組合に組織移行する。組合員53名
昭和261951金蔵平の耐火煉瓦共同工場内に、製土・釉薬・国鉢の共設工場を設置し、事業を開始する
昭和391964高田で最後の連房式登窯が操業を終える
[多治見市図書館郷土資料室所蔵]
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昭和40年代鋳込みの徳利が「源蔵徳利」の名でブームになる
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